近代文学と疫病 ~思いがけぬ心~

最終更新: 6月3日



5.25に全国の緊急事態宣言がすべて解除されて、今日で1週間が経ちました。東京は小池都知事が「ウィズコロナ」を呼びかけ、コロナと共存しながら新しい生活様式の中、依然として予断を許さない日々は続いています。

最近、ある新聞に「近代文学と疫病」という早稲田大学名誉教授のコラムがあり、芥川龍之介や夏目漱石らが危機に立ち向かう人間の心を見つめる作品について論じています。昨今の日本の状況が100年ほど前にも同様の境遇であったことが興味深く、その内容をご紹介します。(以下は、原文を保ちつつ筆者が内容を要約したものです。)



「新型コロナウイルス」の9文字が頭から離れない毎日である。昔は、正体のつかぬ、まだ統御できない感染症を「疫病」といった。人々を不安に陥れる数多い外的要因が文学作品に登場する一節をいくつも思い出す。


芥川龍之介著『羅生門』(大正4年)では、冒頭近くに「この二、三年、京都には地震とか辻風とか火事とか飢饉とかいう災いがつづいて起こった」とある。「疫病」の語はないが「引き取り手のない死人」が門に捨てられる悲惨さだ。夏目漱石に作品を高く評価された後の『偸盗(ちゅうとう)』(大正6年)には「葉柳が一本、このころはやる疫病にでもかかったかと思う姿で」という一節がある。若き日の芥川の小説に登場する人物は、そうした外的な「危機」の中で生きる人間として造形される。


日本の近代100年の中で忘れられない感染症は、大正7年から丸2年続いたインフルエンザウイルスによる「スペイン風邪」であろう。その間、3回流行の波があり多くの死者を出し、島村抱月(ほうげつ)や画家の村山槐多(かいた)らが命を落とした。その流行を先取りする形で芥川は悲惨な背景を小説造形に用いたわけだ。大正12年「関東大震災」を体験した芥川は、現実となって現れた天災や病気が内面の不安を際立たせることになっていく。


夏目漱石は、明治3年頃に天然痘を防ぐために「種痘」を受け、それがもとで「疱瘡(ほうそう)」になり、顔にアバタができてしまったことはよく知られている。文学者を取り巻く環境には思いのほか病気が潜んでいるのである。漱石の作品にチフスで母と兄を亡くした主人公がひとりぼっち同然になる『それから』(明治42年)の設定も感染症が作品を動かすものとして注目される。しかし、漱石はいつも病気の奥に潜むものを見ようとする。


明治24年の濃尾地震、明治29年の三陸大津波は明治の有名な天災である。漱石は大津波の4か月後に『人生』という文章を書きその末尾に、「不測の変外界に起こり、思いがけぬ心は心の底より出で来る、容赦なくかつ乱暴に出で来る」と記した。天災や深刻な病気は確かに厳しい外的な要因だが、漱石にとって格闘すべき敵はウイルスのような存在ではなく、自己の内部の「思いがけぬ心」なのである。


日々、外側の脅威に直面している現在、それに立ち向かうための人々の連帯を阻害する心の働きがあるとすれば、それこそが問題であると人々は気づき始めている。「危機(クライシス)」と「批評(クリティシズム)」とは語源が同じである。今こそしっかり世界に目を見据え、自己の内部の「心」に向き合わなければならない。


夏目漱石は作家になってから人一倍自分の「心」にこだわり、作品を書き続けた。

文学をはじめとする芸術の世界は「危機」との間断なき戦いなのである。


  ☆


現在の文壇において、100年後にこの疫病(COVID-19)がもたらすものとは何でしょうか。100年前に夏目漱石が格闘した「思いがけぬ心」から何処へ。後世にまかせることにしましょう。

Copyright (C) 田村食品広告コンサルティング All rights reserved

田村食品広告コンサルティング 

〒167-0033 東京都杉並区清水3-11-3

TEL 03-6339-8177